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2017年11月7日火曜日

「七五三」お宮詣りのXデーは、11月15日

「七五三」お宮参りのXデーは、11月15日


金沢では「七五三参り」が盛んです。





七五三とは、11月15日に5歳の男児と3歳・7歳の女児を神社に伴い参拝する慣行です。

もっとも最近では、男女の年齢や参拝日に、こだわらないケースも増えているようです。


こちらが、3歳女児の七五三・三つ身(身丈100センチから120センチ前後位)の衣装と小物類です。










そしてこちらが、5歳男児の衣装と小物類です。











一方こちらは、7歳女児の四つ身(身丈135センチ位)の衣装と小物類です。









いずれも両親の愛情が、伝わってくるほどの豪華な意匠の着物等です。




ところで「七五三」は、どのようにして始まったのでしょうか。



七五三は江戸時代、もともと関東地方の武家社会での発祥と伝えられています。

そして、それらの祝いの行事には、その基となる儀式があったようです。



3歳時(数え年)の儀式は、これまでの剃髪をやめ髪を伸ばし始める「髪置」(かみおき)の名残と言われています。


5歳時(数え年)のそれは、初めて袴をつける「袴儀」または「袴着」(はかまぎ)が基本となったそうです。


そして7歳時(数え年)では「帯解・紐落」(おびとき・ひもおとし)が始まりとされています。


「帯解・紐落」とは、それまでの子供用の紐付きの着物と細い幅の帯に代わって、本仕立ての着物と帯で装って、大人となる儀式です。


そしてこれらが、子供の着物と帯です。









以上は、七五三の発祥の正式な由来とのことです。



また、金沢は「加賀百万石の城下町」であるため、当然のように江戸から伝わった七五三の行事が広まりました。





一方、民間信仰では、別の説が伝えられているようです。



それは「子供が産まれて7歳になるまでは、神様からの預かり物である。」とする考え方です。


その意味するところは、子供を7歳まで育てた時に初めて神様の子ではなく、自分の子供となるという思想からきています。


また、昔は栄養事情や医療体制が悪く、子供達が幼少期に亡くなってしまうことが、多かったそうです。


そのため7歳になるまで、地元の氏神様にお参りして「うちの子は、お陰様でこんなに大きくなりました。」と成長を報告し、感謝を伝えました。



そして「どうか神様の元へ、うちの子供を召さないでください。」と祈願しました。


もしそれでも子供が、早逝してしまった場合に両親は「神様に子供をお返ししたのだ。これは、しかたがないことだ。」自分に言い聞かせて、子供を失った悲しみを乗り越えました。



このような不幸が身近な環境にある中で、無事に子供が7歳になってはじめて「我が子」となるのです。


両親のこの時の喜びは、計ることのできないほどの大きなものだったと、想像できます。





前述のとおり、七五三では神社にお参りをします。


こちらは、金沢市の中心部にあり、観光名所にもなっている「尾山神社」(おやまじんじゃ)です。





この尾山神社には、加賀藩祖前田利家公と正室お松の方が祀られています。


ここで「七五三のお祓い」を受けた後、お下りとして「千歳飴」(ちとせあめ)が頂けます。





千歳飴という名前は「千年もの長い期間」また「長生き」という意味に由来しています。


またその袋の図案は、縁起の良い絵柄が描かれています。



一番上には、聖人が世に出る時に現れると言われている伝説の鳥「鳳凰」(ほうおう)が描かれています。


次に祝儀の意味の「熨斗鮑」(のしあわび)が。

その下、順に一年の始まりである「初日の出」(はつひので)。

長寿を表す「鶴亀」(つるかめ)。

縁起が良いとされる「松竹梅」(しょうちくばい)。

そして、長寿と夫婦和合の「高砂の尉と姥」(たかさごのじょうとうば)が意匠されています。




一方こちらは、袋の裏面の図案です。





まず「霊峰富士山」「神殿」・「鳥居」です。

次に平和の象徴「白鳩」

神楽(かぐら)を舞う「巫女」(みこ)。

魔除(まよけ)の「犬張子」(いぬはりこ)。

そして、千歳飴を持つ真打ちの「7才女児」と「5才男児」・「3才女児」が、デザインされています。



それでは、袋の中身をみてみましょう。







まずは、定番の「紅白千歳飴」が、入ってました。


その他には「利家とまつキャラクターシール」・「キャラクター4点文具セット」・「ブロック玩具」・「キャラクターミニタオル」・「キャラクター巾着袋」等がありました。


ただし一昔前までは「細長い紅白の飴」が、2本入ってました。



時代が変わると、随分お洒落になるものです。





それでは、何故「七五三参りは、11月15日」となったのでしょうか。



その理由は、民間信仰の「霜月祭」(しもつきさい)に関係するそうです。



「霜月祭」とは旧暦11月の15日から24日頃までの期間に催される「稲の収穫祭」です。


そして15日は、満月の日にあたります。


その満月の日に、氏神様に対して収穫の感謝とともに子供の成長を報告し、ご加護を祈ることとなったとされているそうです。





前述したようにじいじには、3人の子供がいます。

そして、何一つ病気をすることなく成長しました。

私達夫婦は、ただただこの幸せに感謝しております。



今回の担当は、達じいでした。

あんやと (๑꒪⍘꒪๑);


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2017年7月28日金曜日

着物10、おすすめの検索ワード


ご存じの方が多いとは思いますが、着物10の検索画面で多数検索に該当しやすいもの
を簡易的ではありますが、いくつか紹介していきたいと思います。



1、金駒刺繍

刺繍技法のひとつで、刺繍針に通せない太い糸や金糸を木製駒に巻いて、それを転がしながら刺繍糸を下絵に沿ってはわせ、綴糸で留めていく技法。駒取ともいいいます。
また、金糸を使ったものを「金駒刺繍」、銀糸を使ったものを「銀駒刺繍」と呼びます。

















2.アンティーク
木綿の絣の男性用、女性用の着物、子供着物、麻の上布、縮み
銘仙、紅絹の襦袢、袋帯、小物など多数検索に該当します。



























3.暈し グラデーション

こういう淡い味わいが好きな方には是非ともおススメです(^◇^)















4、草花 花々

多数検索に該当いたしますのでとにかく、なんでもいいので

花柄の着物を着たいと思う方にはぴったりの検索ワードになります。















5、 抽象 幾何学

幾何学な線・面・量塊などによって構成される表現形式のことを指します。その場合の線・面・量塊は線遠近法的なイリュージョンに寄与することはなく、もっぱら抽象的な画面構成のために用いられるものとありますが、つまり良くわからない抽象的な柄ということです。
































6、宝相華

仏教的意匠で、蓮華・パルメット・ザクロ・牡丹などを組み合わせた空想上の花文。唐代に盛行。日本では奈良時代に盛んに使用され、正倉院宝物の文様に多く残っているものです。
着物10では帯で使用されることが多い検索ワードです。


















7 、プラチナ箔 

このような帯は、訪問着や色無地などの着物に合わせるのがいいです。
銀やプラチナ箔など高級な袋帯があったとしても留袖には向かないです。
また、袋帯と言っても「しゃれ袋帯」と言って、普段着用のものもありますので注意してください。















ぜひこの機会に着物10の検索機能を活用してみてはいかがでしょうでしょうか。

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2017年3月17日金曜日

能登上布の新たな試みと基幹産業を応援する高校生

能登上布の新たな試みと基幹産業を応援する高校生


まずご覧頂くのは、能登上布(のとじょうふ)の反物です。

能登上布の新たな試みと基幹産業を応援する高校生能登上布の新たな試みと基幹産業を応援する高校生
能登上布の新たな試みと基幹産業を応援する高校生能登上布の新たな試みと基幹産業を応援する高校生

能登上布は、石川県中能登地方に古くから伝わる高級麻織物です。

それは「蝉の羽根」とも形容される薄くて軽く、しかも丈夫な盛夏の着物生地です。

また、肌触りが良く「経緯絣(たてよこがすり)」という、精密なかすり模様が特徴です。


能登上布の歴史は古く「古事記」・「日本書紀」に記される第10代天皇である崇神天皇(すじんてんのう)の娘が、この地に滞在した際、野生の真麻で糸を作り地元の女性に機織りを教えたことが、能登上布の起源であるとされています。

そのため中能登地方は、江戸初期までに近江上布の原糸として、麻糸の産地となりました。

そして、江戸時代後期になると、近江から職人を招いて織物生産が始まりました。

これにより文政元年に、能登縮(のとちぢみ)と称した麻織物が誕生しました。

その後能登縮は、明治40年に皇室献上品に選ばれるまでになりました。

この頃から、能登縮の上質性が認知され「能登上布」と呼ばれはじめました。

なお上布とは、麻織物の最高級品に贈られる称号です。


そして昭和初期には、織元数が140軒を数え、生産量も年間40万反にもなり、麻織物の中で全国一となりました。

また1960年(昭和35年)には、石川県無形文化財に指定されました。

しかし、着物離れの影響により昭和63年には、織元がただ1軒のみとなってしまいました。


その唯一の織元である山崎麻織物工房は、現代にも通じる製品を開発しようと努力を重ねています。

その工房は、着物にはあまり用いない淡色の麻糸で織るなど、工夫したストールやシャツ・クッションを開発し、日常生活で使うことを提案しています。

また、2017年2月10日~14日にドイツで開かれた、世界最大級の国際見本市「アンビエンテ」に初出展しました。

その目的は、天然繊維が好まれるヨーロッパをターゲットとした販路開拓です。

これは、伝統技術を守りつつも、現代風のアレンジを加えた実用性のある製品を作るという好例と言えるでしょう。


そして地元の人々も、町の基幹産業である繊維産業を盛り立てようと企画しています。

鹿西(ろくせい)高校美術部に所属する8人が、中能登町のJR能登部駅(のとべえき)構内で「織姫」と「彦星」をデザインした壁画を描きました。

これは、JR西日本七尾鉄道部の依頼を受けたもので、ホームにある渡線橋の柱をキャンバスに、縦約3.5メートル・横約3メートルの大作となります。

この作品は、線路を天の川に見立て、年に一度しか会えない織姫と彦星の物語を表現したそうです。

またこの壁画は、駅を通過する電車内からも見ることができます。

こうすることで、駅を利用する学生や住民だけでなく、電車の乗客にも中能登町の歴史を伝えることを意図しています。


また美術部員は、鹿西高校近くにある能登比咩神社(のとひめじんじゃ)に関する歴史を学んで、このデザインに決めたそうです。

鹿西高校近くにある能登比咩神社には、織物に縁起する2神が祭られています。

その1神である「能登比咩神」は、麻織物の製法を中能登に授けた能登上布の祖とされています。

そしてもう一人の神、崇神天皇の娘である「沼名木之入日売命(ぬなきいりひめのみこと)」は、能登上布を織る技術である「機織り」を教えたと伝えられています。

彼らの活動は、まさに「温故知新(おんこちしん)ふるきをたずねあたらしきをしる」の実践版ではないでしょうか。

おじさんは、若者達による町おこし活動に、今後大いに期待したいと思います。

今回の担当は、達じいでした。

あんやと(*´▽`*)。






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